大人 と 偏見

う〜ん・・・・・・・。

今も、政治の情勢が良くないですねぇ〜。

トランプ大統領の過激な発言にしても、白人至上主義にしても、北朝鮮の挑発的な態度にとっても

疑いが疑いを呼んで、みんなが、いがみ合っています。

北朝鮮のミサイル発射は怖いですねぇ〜。

なんせ日本の上空を飛んでいるのですから。

万一、部品の一部が落下して、民家にでも落ちて、被害が出たら・・・・・と思うと恐ろしくてなりません。

 

何でみんな、仲良くできないのでしょうか。何で偏見を持つのか不思議ですねぇ〜。

人類が共通して解決できない問題ですよね。

まぁ、私がそんな政治的な発言できるレベルでも無いのかもしれませんが・・・・。

 

国益を守るため?が主な理由なんでしょうけど、でも、同じ日本(国)の中でも問題がありますよね。

例えば、芸能人の出生でどうこう言われていたり、原発の問題があったり

そんなことを考えながら、ふと小学校に習っていた「公害」の授業のことを思い出していました。

 

小学校の時に先生に社会の授業で「水俣病の公害」について事業で習っていました。

その当時の私は、ふ〜ん・・・・。昔、そんなことがあったんだねぇ〜・・・・ってそれくらいの感じです。

授業が終わった後に先生が、ここに水俣病を記録したビデオがあるんだけど、小学生の君たちが見たらショックを

受けるかもしれない。だから、小学校を卒業する6年生の最後に見せてあげます・・・・・・・。

・・・・・・・・。と言われて授業が終わりました。

 

そして、そのビデオをとうとう見せて貰うことなく、卒業してしまいました・・・・・・。

そして、その内容が、どういうものだったのか、一切知ることなく、年月が過ぎておりました。

そう、何十年も・・・・・・。

そして、それは私にとってはとても「気がかり」な「記憶」として残っていたのです。

 

そして、今はインターネットが登場して、とても便利になりました。

試しにYouTube水俣病について探してみました。

ありました。多分この映像のことなんだと思います。(ちょっと違う気もしますが)

 

そんな感じで水俣病について、大人になった今から、少しだけ再勉強することにしました。

インターネットだけで簡単に調べて、済ませている時点で申し訳ないのですが、大変勉強になりました。

 

そして、ショックを受けました。

何かと言うと、「水俣病の患者や、その家族の方々は、今現在でも差別や偏見に悩まされている・・・・」

と言うことでした。

 

あれって、昭和30年代とかに起こった出来事ですよ?そんな60年も経った今でも

何でそんなことが起きているのか??

水俣出身と言うだけで、結婚にも影響があるとか無いとか・・・・・・。今も、そう言った事実があることに

大変ショックを受けました。

 

差別や偏見はいけません!!って小学校の時に道徳の授業で教えられてきました。

私が教えられてきてから、もう数十年も経っています。

これまでも学校の先生はずっと、子供たちに教えられてきているんだと思います。

なのに何で?って感じです。

 

何で、学校で、教育を受けているのに、今でも、そう言った発言や、偏見は無くならないのだろうか?と真剣に

考え込んでしまいました。

学校の先生が、もしこの記事を読まれているのであれば、教えてほしいです。

なぜ、授業で昔から、ずっと道徳を教えてこられたのに、この「偏見」は無くならないのでしょうか?

 

そう言えば、福島の原発もそうです。

放射能の問題で、家を強制的に奪われて、各地へ避難された方々の「子供」達が、

中では、そう言った理由でいじめにあっていたり などの記事がよくありました。

住民は何も悪いことをしていません。なのに何故ですか?

 

原発関連で少し調べていたら、チェルノブイリ原発事故のことも気になったので、調べていました。

1986年に旧ソビエトで起こった原発事故です。

この事故で、数百キロの地域が高濃度放射線に汚染され、多くの住民が住処を追われたそうです。

そして、ここでも問題があったのが原発周辺地域に住んでいたと言うだけで、凄惨な「いじめ」があったそうです。

そして、10数年が経ってから健康被害に悩まされ、そこからさらに「偏見」が生まれているそうです。

日本でも、世界でも「同じ」なんだと言うことが分かると、なんだか気持ちがブルーになってしまいました。

 

こんなことを考えながら、私自身が、人生の約半分を生きてきた「経験」なんて

ちっぽけなものですが、それでも、今、私自身が、社会から助けられて、多くの方々に助けて頂けている

今があるのを本当に感謝しなければなりません。

それは、私の「今」、この様々な経験が無ければ、これまでのブログにアイデアを書くことはありませんし、

経験、体験が無ければ、こうやって考えたり、悩んだり、感謝することも無かったんだと思います。

 

そう、実際に、「自分の身」に起こらなければ「解らない」のです。本当に。

どれだけ、勉強しても「体験」に勝る発言は「無い」と私は思ったのです。

 

だから、経験、体験をさせてあげないといけない・・・・・・・とも思ったのです。

では、例えば、学校ではいじめをしてはいけませんと、言葉では言いますよね。

でも実際には無くなりません。最近は社会にとって良くない部分は、「やめろ」とか「おかしい」とか

否定を言う表現しかありません。

実際に大人でもそうですけど、偏見的な、または否定や批判の発言だけをされる方は、それなりの哲学的と言いますか、真っ当な根拠を持って発言されているのでしょうか?・・・・。まぁ、特に何も考えていないような気もしますが・・・・・。

根拠があるなら、真っ当に、だれもが納得できるだけの誠実な発言をしてもらいたいとも思います。

 

社会上、子供たちのいじめなんかも良くないとして、大人たちは隠そうとしています。

でも実際には無くならず、表面上は良くなっているように見えますが、こやって内面で見えないところに

隠れているだけなのです。

「人間はこれだけ悪い行いを沢山している。だからこれだけ罰せられているんだ!」って言うのを体験させるのは

如何でしょうか?

 

最初に思った(思っただけですよ〜)のは、

学校での教育的な指導として、「毎日交代で順番に誰かが、誰かをいじめられる」と言う授業として取り入れてしまうのを考えてみました。表面上無くそうとするのではなく、いっそのこと、大人も子供も一緒になって「悪い」部分を出して、考えさせる授業をするのです。

実際に全員が「いじめ」を体験することで、自分がされて嫌だったと「経験」させることで

偏見をなくそうと言うアイデアです。

 

あ〜・・・・そう言えば、あの時のいじめの授業、嫌だったよなぁ〜・・・あんなことは絶対にしてはいけないよなぁ〜。

あ〜・・・そうそう。私も嫌だったよねぇ〜等の話が、将来記憶として残れば面白そうだと考えました。

 

それから、裁判制度の活用〜。

国民全体にも裁判制度が義務化されておりますので、そこを活用して

リアルな裁判を傍聴する授業をするアイデアです。これで、過ちを犯した人が、どのような心境で事件を犯したのか、今後どのように裁かれるのかをリアルに知らせることで「体験」させることで偏見が無くならないでしょうか?

これは、大人たちにとっても有効かもしれません。

 

ちょっと話がそれますが、

例えば、身近なところで言えば、「交通事故」があります。

免許を持った大人たちは、1回はこの交通事故裁判の傍聴に出席されるのを「義務化」させるんです。

それによってより身近に感じて体験してもらうことで、危険な運転を少しでも減らしてもらおうと言うアイデアです。

 

色々と話がそれたりしておりましたが、今日はそんなアイデアを考えていました。

もし、気分を害された方は、何か良いアイデアを教えてください〜!!(^^;

[caption id="attachment_2087" align="aligncenter" width="272"] 見えたものに偏見はありませんか?[/caption]